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 歴史・沿革
 
 この地を『臥龍』と命名したのは、大洲藩第3代藩主加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから名付けたものと言われています。清流肱川湖畔のもっとも優れたこの景勝地に初めて庭園を築いたのは文禄年間、藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛の時代に遡ります。
 その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の風致を加えました。その後、歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。

 現在の山荘は、明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎(常住地:神戸)が、老後の余生をここで過ごしたいと大洲随一の景勝地であるこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。寅次郎氏は、明治42年10月に亡くなりますのでここでの居住はごく短期間でありました。寅次郎氏亡き後、養子の陽一氏は一時、弟の上甲文友氏に管理を任せられました。その後昭和20年、戦災のため、陽一氏は大洲に引き揚げてこの地に常住しました。
 
 昭和31年9月30日、大洲市教育委員会はこの地を名勝地として大洲市の文化財に指定しました。昭和53年3月20日に大洲市はこの地を陽一氏より譲り受けて保護管理することとなり、昭和55年春より大洲市の観光拠点として一般公開されるようになりました。 昭和60年2月、臥龍院、不老庵が愛媛県の有形文化財として指定を受けました。
 平成23年春、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンに一つ星掲載されることになり、外国語版パンフレットの作成など観光整備が進められています。

建築

不老庵  明治34年(1901)竣工
知止庵  明治34年(1901)竣工
臥龍院  明治40年(1907)竣工

施主 河内 寅次郎

施工
大工 中野寅雄(大洲)、草木国太郎(京都)
漆工 九代 中村宗哲(京都)
金工 九代 中川浄益(京都)
木彫 十三代 駒澤利斎(京都)
建具 大村藤三郎(神戸)
襖(表具) 八代 奥村吉兵衛
板戸 鈴木松年画
襖絵 吉嗣拝山画
庭園 植徳(神戸)