音声ガイド

音声ガイドについて

お手持ちのスマートフォンを使って、各施設の説明を音声で聞くことが出来ます。各施設ごとに音声ガイドを用意しておりますので、ガイドを聞きながら、臥龍山荘をお楽しみください。

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臥龍山荘

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臥龍山荘は、明治35年頃に大洲出身の貿易商である河内寅次郎氏が建てた別荘です。京都の茶室建築家である八木甚兵衛(じんべえ)氏を相談役として迎え、京都の匠である千家十職(せんけじっしょく)の名工たちを大洲の地に呼び寄せ、構想10年、工期4年の歳月をかけて完成させました。肱川随一の景勝地に建てられた臥龍山荘は、自然と人工の調和の中に造られた建築物として高い評価を得ており、臥龍山荘内の3棟が国の重要文化財に指定されています。また、2011年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星を獲得しました。
臥龍山荘は、3つの建物である臥龍院、知止庵(ちしあん)、不老庵(ふろうあん)と、国の名勝に指定された庭園から構成されています。

臥龍院

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大きな茅葺(かやぶき)の屋根が特徴である建物は臥龍院と呼ばれています。一見、農家を思わせる数寄屋建築ですが、内部の各部屋には名工たちの卓越した技術が集結しています。
夏向きの部屋である「清吹(せいすい)の間」、格調高い書院造の「壱是(いっし)の間」、荒れた農家の夕暮れを表す「霞月(かげつ)の間」など、それぞれテーマに沿った趣向をお楽しみください。

清吹の間

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清吹の間は、夏向きの部屋として造られました。臥龍院の部屋で一番天井が高く二重張りになっており、足元には籐(とう)が敷かれ、北側に大きな窓を造り、風がよく通るように設けられています。
清吹の間には、水にちなんだ四季を表現した彫刻があります。正面の神棚の下の欄間(らんま)には「桜と筏(いかだ)」で春、中庭に面した欄間には「水(すい)紋(もん)」で夏、左側の壱是の間との間の欄間には「菊水(きくすい)」で秋、仏間との間の「雪輪窓(せつわそう)」で冬をそれぞれ表しています。いずれも、千家十職の指物師・十三代駒沢利斎(こまざわりさい)による見事な透かし彫りです。
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神棚(かみだな)
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清吹の間には、非常に大きな神棚が祀(まつ)られています。臥龍山荘を造った河内寅次郎は、神楽を毎年奉納するほど神様を大事にしており、商売人として商売繁盛を願って作ったのでないかと言われています。清吹の間の天井が他の部屋と比べて高いのは、最初からこの部屋に神棚を祀ろうと構想していたからとも言われています。神棚には、中央に皇大神宮(こうたいじんぐう)、両側に地方の郷社である八幡神社(はちまんじんじゃ)、大洲神社などの神殿が納められています。
広書院
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神棚を支えているのは、皮付きの「一位(いちい)の木」による山形の落とし掛けで見事なナグリに仕上げられています。ナグリとは手斧(ちょうな)ではつり目と呼ばれる削り目を残した仕上げを入れたものであり、素朴さを表現するものとして、よく茶室に使われています。
床板には、見事な楠(くすのき)の一枚板が使われています。臥龍山荘には、多くの場所に大きな一枚板が使われています。
老龍の画
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清吹の間に飾れられている横長の絵は、鈴木松年(すずきしょうねん)による作品「老龍の画」です。臥龍山荘の完成祝として河内寅次郎に寄付されました。水墨で力強い老松を描き、その陰影を生かして老龍を想起させるたくましさが表現されています。

壱是の間

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壱是の間は、格調の高い書院造りで「武家の客間」として造られました。床の間は、お客様をお迎えするために一段高く三畳の間と広く造られています。床柱には、杉の銘木のうち節がない四方柾(しほうまさ)が使われています。他の柱は、わざわざ節を見せて、数寄屋造りと調和するように配慮されています。欄間には千家十職の指物師・十三代駒沢利斎の手による「鳳凰の透かし彫り」が見られます。
壱是の間に敷かれた畳は、臥龍山荘が建築された明治40年代に作られたものです。若いイグサを使っているため、目が細かく1日に1枚しか作ることができない貴重な畳です。この畳を上げると板の間となり能舞台に変わります。能には音響効果が必要なため、床下に備前焼の壺が四方に3個ずつ合計12個置かれてあります。
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掛け軸「至善」・時香盤
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床に掛けられている「至善」の軸は、「天子(てんし)より以(もつ)て庶人(しょじん)に至(いた)るまで壱是(いっし)みな修身(しゅうしん)を以て本(もと)と為す」(天子から平民まで、皆まず自分の言動を正しくすることがもとである)という陽明学の本義を表したものです。
また、掛け軸の前に置かれた黒い箱のようなものは時香盤(じこうばん)と呼ばれる和時計の一種です。盤珪永琢(ばんけいようたく)が冨士山の座禅石で座禅をした際に使用したものと言われています。
床脇
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床の間の右手にある床脇には、縁起の良い松竹梅が隠されています。横長の襖の引き手に梅の花、田の字の襖の引き手に松ぼっくり、白い壁には竹の模様と、格調高い部屋を表しています。
また、床脇の地板(じいた)には松の一枚板が使われています。

濡れ縁

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座敷から中庭をご覧ください。視界を遮る柱が1本もありません。それを支えているのが、軒下の梁(はり)である「皮付きの松の木」です。皮付きの木材は害虫に好まれやすいため、通常皮は剥がされますが、この松の木は何らかの工夫が施されているため、今でもこのように立派に健在しています。
廊下の上の下地窓は、桂離宮のものは横一線に6個の同じ丸窓が並べてありますが、ここでは5個の小さな丸窓と2個の大きな丸窓を、バランスをとるために上下にちらしてあります。
足元の縁側には、飾り釘が打たれています。縁板(えんいた)を止めるためのものではなく、飾りとして造られたものです。この飾り釘は千家十職の金物師・九代中川浄益の作です。
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下地窓
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下地窓とは、日本の和風建築における窓の一種です。農家の土間に見られるような土壁の一部を塗り上げずに、壁下の小舞(こまい)をそのまま現した窓です。千利休がこれを数寄屋に採用してから、本来は素朴な下地窓が、意匠を主にした多彩なものとなりました。
ここでは、外側から見ると丸い窓に見え、屋内側には四角い障子をかけるなど意匠的に優れていると言われています。
雛止め
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濡れ縁のうち、板の接合部分をご覧ください。一見すると、ただ切り落とした板を配置したように見えますが、実は切り落とした部分の木目が見えないように、北側の板を1ミリ程度、先端部分まで伸ばしています。
飾り釘
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濡れ縁のアクセントにもなっている飾り釘の中には、千家十職の金物師・九代中川浄益(じょうえき)の銘として花押が刻まれたものが何本かあります。

霞月の間

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霞月(かげつ)の間は、「荒れた農家の夕暮れ」を表現した部屋です。部屋の壁の一部をあえて塗り残し、壁が落ちた農家を表現することで、わび・さびを感じさせます。
床の間にある違い棚を霞棚(かすみだな)といい、富士山の掛け軸の前に置くことで霞がかった雲を表しています。丸窓の奥は仏間になっており、蝋燭(ろうそく)に明かりがともされると月明かりのような情景になります。
また、霞月の間には、床柱を省いた置き床と呼ばれる床の間もあります。床框(とこかまち)は、千家十職の塗り師・九代中村宗哲の「ため塗り」によるものです。側面には宗哲の銘が彫られています。
縁側の廊下には、幅三尺、長さ二間の仙台松の一枚板が使われています。寄せ木のごとく溝が彫ってありますが、よく見ると木目がきちんと揃っています。
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襖(霞月の間)
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霞月の間の襖は黒くなっていますが、これは古くなって黒くなったものではありません。利休鼠(りきゅうねず)と呼ばれる渋い灰色の染め唐紙(からかみ)が使われており、夕暮れの空間を表しています。引手には、同じく夕方を表す蝙蝠(こうもり)を模した金具が使われています。この蝙蝠型の引手は、千家十職の金物師・九代中川浄益によるものです。
欄間(霞月の間)
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置き床の右手にある平書院欄間には、千家十職の指物師・十三代駒澤利斎(こまざわりさい)作の瓢箪(ひょうたん)の透かし彫り「瓢透(ひさごす)かし」があります。瓢箪の花は、夕顔と同じく夕暮れに花を咲かせることから、部屋全体の意匠を夕暮れに統一したものと言われています。

庭園

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臥龍山荘の庭は、神戸の庭師である植徳(うえとく)という職人が10年もの歳月を費やして造営しました。崖地を含む傾斜地に造られており、樹木、庭石、コケ等が見事に調和している「河岸庭園」です。令和3年10月には、大洲市内で初となる、国の名勝指定を受けています。庭師・植徳はこの庭園を造ったのち、大洲に住居を置き、一生を終えたと言われています。
庭園には、コケが多く、カエデ、エノキ、サルスベリなどの数百年前の木々があります。また、縁起のよいものも多く植えられており、赤や黄の実が成るマンリョウ、センリョウ、ジュウリョウは、商売繁盛と末永い家の繁栄を願って植えたものだとも言われています。
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踏み石
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庭園内に入って特に目を引く踏み石は、手まり石、げんだ石、石臼など様々な種類の石が使われています。もともと、客人の誘導あるいは雨や湿気の多いところで足元に泥が付かないよう、また庭のコケなどを踏まないよう、実用の目的で置かれてきましたが、やがて庭を美しく見せる景観の主役としても活用されています。
灯籠や手水鉢(ちょうずばち)、石の置物のほか、さりげなく置かれた石の細工物や陶器、瓦なども、庭の雰囲気をうまく作り出しています。
ぼたん苔
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庭園の中央に位置する灯篭の屋根には、非常に珍しい"ぼたん苔"が生えています。育成が非常に遅い点が特徴で、通常生長するには100年余りの歳月を要すると言われますが、この庭園内は湿度が高いことから6,70年で生育します。右の手水鉢(ちょうずばち)より水をかけてみると、美しい青緑色に色変わりします。
潜龍洞
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庭園内の洞穴は、氷室(ひむろ)として使われていました。氷室は現代でいうところの冷蔵庫のようなものです。伝説によると、近くの臥龍淵と呼ばれる川の淵に龍が住んでおり。その龍がお昼寝に入っていたという話から、ここは潜龍洞と呼ばれています。

知止庵

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庭園の中央に位置する建物は知止庵です。臥龍院と同じ時期に浴室として建てられましたが、昭和24年、茶室に改造されました。「知止」の額は、大洲藩十代藩主加藤泰済(やすずみ)公の筆によるものです。「知止」とは、「人間は適当な所でとどまることを心得なければならない」という意味で、大洲に縁のある陽明学者の中江藤樹(なかえとうじゅ)の教えによるものです。
また、室内の壁の腰張には、皇室の名代を徳川家で迎えたときに、その接待役を務めた3代藩主加藤泰恒(やすつね)の「茶方(ちゃかた)日記」の反古(ほご)紙が貼られています。

不老庵

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臥龍山荘の中でも最も眺めの良いところに建てられたのが不老庵です。8畳の座間は3方を開放して崖下の肱川の眺望を楽しめます。不老庵は、建物の半分以上を崖からせり出すように建てられています。この建築技法は、懸け造りと呼ばれ、京都の清水寺の舞台と同じ構造となっています。不老庵の下は肱川の中でも特に深く、龍が住んでいるとの伝説で「臥龍淵(がりゅうぶち)」と呼ばれています。その上に山荘ができたため、この建物は「臥龍山荘」と名付けられました。
不老庵は建物そのものを舟に見立てており、天井は竹網代張(たけあじろばり)でゆるくカーブ状に張っています。月が対岸の冨士山から昇って川面に映ると、その光が天井に反射して内部が明るくなる巧妙な造りとなっています。
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懸け造り
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不老庵は建物の半分が崖から出ており、懸け造りの技法を用いて、7メートルあまり下の地面から束柱(つかばしら)で支えられています。愛媛県に現存する懸け造りの建物はこの不老庵も含めて3つありますが、いずれも大洲市内にあります。
懸け造りによる不老庵とすぐ下を流れる肱川との調和も見事ですので、ぜひ機会があれば対岸からの景色もご覧ください。
捨て柱
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不老庵の裏手には、今もなお生きている槙(まき)の木を活用した「捨て柱」を見ることができます。この槙の木は不老庵を建てる前からここに生えていたそうです。上部を切って軒下(のきした)にあて、建物を支える柱にしています。建物が完成して100年以上経ちますが、この木は太りもせず、上にも伸びず、横にだけ伸びて今もこの建物と共生しています。

迎礼の間

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臥龍院の玄関あたる部分を迎礼の間といいます。式台の横に琵琶床のような物置台があり、三畳ほどの玄関間の取次に竹が敷いてあることで、沓脱石(くつぬぎいし)から上がった人に特殊な感触を味わわせます。
また、入口の上部には、篆刻風(てんこくふう)の文字が書かれている提灯箱(ちょうちんばこ)があり、中には家紋入りの提灯が入っています。中央と右の箱に書かれた「禎祥(ていしょう)」の字は「めでたいしるし。よい知らせ」で婚礼の意味、左の箱の「非常」の字は火事や洪水など非常時を表しています。箱の中央に書かれたマークのようなものは河内家の家紋で、伊予楠氏(なんし)の祖である橘(たちばな)氏から「橘」の字が描かれています。

千家十職

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千家十職(じっしょく)とは、茶道に関わりの深い十の職業を家業とし、三千家に納めている職家(しょっか)のことです。臥龍山荘の建築に携わったとされるのは、金物師(かなものし)である九代・中川浄益、指物師(さしものし)である十三代・駒澤利斎、表具師(ひょうぐし)である奥村吉兵衛(きちべえ)、塗り師である九代・中村宗哲であると言われています。

河内寅次郎

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藩政時代から大洲で生産されていた木蝋(もくろう)は、明治中期から大正にかけて最盛期を迎えます。明治初期の混乱期を乗り越えると、海外での需要が増し、輸出品の花形となりました。この木蝋貿易で成功を収めた一人が、河内寅次郎です。大洲出身の寅次郎は、貿易商として既に神戸で成功していた同郷の池田貫兵衛(かんべえ)らとともに、明治23年に木蝋の貿易会社「喜多組」を神戸に設立しました。高品質な木蝋をブランド化することで、海外からの信用を獲得し、木蝋貿易で巨万の富を築きました。その財をもって造られたのが臥龍山荘です。

文庫

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臥龍院の隣に建てられた建物は、文書や書物、絵画など大切なものをしまう文庫であり、一般にいう土蔵にあたります。
壁面にはひしぎ竹、銅、舟板、漆喰が使われています。漆喰枠の開口部に建つ扉の銅板張りが錆びることで、緑青(ろくしょう)という味のある緑色が点景となっています。舟板も年月を経た木の味わいがあり、風情を添えています。耐久性のある舟板や、水をはじく竹など実用的な面はあるものの、やはりこの建物は下から見上げられることを意識し、意匠的にこれらの材が使われています。

石積み・チシャノキ

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臥龍山荘の入り口付近には、多彩な積み方の石積みがあります。加工せず自然の形の石を大小混ぜるように積んだ野面積みをはじめ、石垣の裾を広げて積んだ末広積み、石垣の中に細長い石を横に並べて積んだ流れ積みを見ることができます。
石積みの間から生えている木はチシャノキです。もともとここに生えていたものをそのまま石積みに嵌(は)め込んでいます。柿の木に似ていることから「柿の木だまし」とも言われています。
流れ積みでは、全体に積まれている横長の石は肱川の流れを、窪んだ横長の手水鉢は肱川に浮かぶ船を、臼石は夜空に浮かび上がる月をそれぞれ表現しています。